「犠牲の分担」は公平かつ公正か英紙東京支局長が問う「なぜ花見は中止するのに東京五輪は決行するのか」
「東京五輪中止」スクープ記事やコラムなどで注目されている英「タイムズ」紙東京支局長のリチャード・ロイド・パリーが、大好きな花見の季節にどうしても言いたいことがあるという──。
今年は花見が取り止めになった。近所の公園の桜の木々は、派手なオレンジの柵で囲われた。まるでテープを張り巡らされた巨大な犯行現場だ。悲しい風景だった。
花見は、日本の四季折々の行事のなかでも私がとりわけ大切に思ってきたもののひとつだ。花の美しさも、人々が上機嫌になる姿も好きだからだ。
長く荒涼とした冬が終わり、自然が息を吹き返すときの感覚もある。
そこには生死の真理が、命を持った者の形をとって目の前で繰り広げられるかのような趣がある。死には生が続き、寒さの後には暖かさが戻り、苦しみも悲しみもやがて和らぐ。多くの宗教や芸術の中核にある、あの約束や慰めがそこにはあるのだ。
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以下ネットの反応。
英タイムズ紙・東京支局長の疑問に誰か説得力を持って回答できるのか?
「なぜ花見は中止するのに東京五輪は決行するのか」
「人が大勢で集まることになれば、たとえどんなに厳しい予防措置をとっても、感染リスクを完全に取り除くことは無理だ」 https://t.co/9ozS2G9GjS— 清水 潔 (@NOSUKE0607) March 28, 2021
「そんなとき政治家はこう言っているのに等しい。「今回のこの行事に関しては、少数の死者が出ることを許容します。それに見合う価値があると考えるからです」https://t.co/8cblIP8knF
— 島薗進 (@Shimazono) March 26, 2021
英紙東京支局長が問う「なぜ花見は中止するのに東京五輪は決行するのか」https://t.co/0e6GfdAkcx
「仮に私が発症し、自分の命が危険にさらされるなら、それは友人と桜の花の下に座ったから、という理由のほうがまだいい。VISAやコカ・コーラ、電通、菅義偉のためにそうなるのは勘弁してほしい」— ソウル・フラワー・ユニオン (@soulflowerunion) March 25, 2021
「仮に私が発症し、自分の命が危険にさらされるなら、それは友人と桜の花の下に座ったから、という理由のほうがまだいい。VISAやコカ・コーラ、電通、菅義偉のためにそうなるのは勘弁してほしい」https://t.co/gGsCr2dAaC
— Dan Kogai (@dankogai) March 25, 2021