http://nikkan-spa.jp/1234381/3
「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会トランプ氏が大統領になるかもしれないと昨年の今頃言っていれば、「あいつはバカだね」と言われたかもしれない。「あれは泡沫候補だよ」と言われたかもしれない。しかし、実は昨年の時点で、トランプ氏への追い風が吹き始めていた。
私も昨年12月、ニューヨークにいたのだが、五番街の喧騒の中を歩いていて、強い違和感に襲われたことを覚えている。世界一のブランドショップ街に、「メリー・クリスマス!」の文字がほとんど見当たらなかったのだ。一年を通じて最大の商戦であるクリスマス商戦の真っ只中にもかかわらず、五番街にはメリー・クリスマスに代わって、「ハッピー・ホリディズ!」の文字が溢れていた。
このような変化はここ3~4年、徐々に進んできた。それは、異教徒に対する“配慮”からだと聞いた。ニューヨーク在住歴25年の日本人女性は、事もなげに私にこう言った。
「友人にも、ハッピー・ホリディズですね。どんな宗教を信じているかわからないし……」
ご存知の通り、アメリカ社会は人種・宗教のるつぼであって、既に非英語人口は約20%に及ぶと言われている。WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)が社会の基盤にあった時代は、遥か遠い過去である。
「どうしてキリスト教のお祭りなのに、ユダヤ教の人もイスラム教の人も仏教の人もメリー・クリスマスと言わなくてはいけないんだ? それはキリスト教の驕りではないのか? 宗教の押し付けは止めてくれ」
このような動きが現在のアメリカ社会に、強いうねりとしてある。
もちろん、アメリカの新聞の中にも、「ハッピー・ホリディズ」なんて言わないで、「メリー・クリスマス」という言葉をそれぞれの宗教の人々が微笑で迎えるような多様性や寛容性があってもいいんではないか、という論調もあるが、それは少数意見である。
クリスマスツリーを飾るのも、「果たしてこのアパートメントでは、いいんだろうか? ここにはイスラム教の人もいるんじゃないか? それは宗教の押し付けになるんじゃないか?」と気兼ねする不思議な風潮。
「この国には公正で中立的なバカが多すぎる」
トランプ氏は、以前ツイッターで「この国には公正で中立的なバカが多すぎる」とつぶやいた。 「メキシコ国境に壁を造れ」「イスラム教徒の入国は禁止せよ」など、トランプ氏の主張には呆気に取られるものが数多い。しかし、「この国には公正で中立的なバカが多すぎる」という彼のこの言葉だけは、なぜか私の頭に引っかかった。
アメリカ社会では、今まで無邪気に謳歌してきた楽しい行事が、「多様な」という価値観にがんじがらめに覆われてしまっていたのである。
多様な価値観を認めようとするあまり、大切な価値観にふたをしてしまう、あるいは元々ある伝統的な価値観は古いと葬ってしまう社会の動きに潜む「非寛容さ」。これこそが、今のアメリカ社会を窮屈にしているのではないだろうか。
「多様な価値観を認めよう」という考え方そのものが、実は多様な宗教観や価値観、多様な楽しみ、生き方、そういうものを逆に縛る一神教的な教義となってしまっているのだ。このような現象は今の日本でも同じように見られることである。
少数意見は尊重されなければならない。それは、成熟した社会の一つのベクトルだろう。しかし、一方で多数意見や曲げるべきではない常識、伝統も尊重されるべきものではないだろうか。
「メリー・クリスマス!」と幸せそうに声を掛け合った街角の風景は、進行する多様性に満ちた社会では、すでに懐かしい幻となりつつあるのかもしれない。
だからこそ、このような風潮が昔の無邪気でそれでいて強かったアメリカに対する、国民のノスタルジーを呼び起こし、トランプ大統領誕生への追い風となったのではないだろうか。
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以下ネットの反応。
なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?――「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ | 日刊SPA! https://t.co/HCoOlHre8d
SPAの癖にまともだ。日本は島国で本当のグローバリズムに巻き込まれてないからこそ面白いのかも— 森乃ろんぎぬす (@tree3_wiseman) 2016年11月11日
キリスト教国家じゃない日本が、大声でメリークリスマス!
米国さん、多様性の神髄は日本かも知れないよ
>なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?――メリー・クリスマス!が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ | 日刊SPA! https://t.co/qwMqogcTJh— tarou satou (@kohumimetal) 2016年11月12日
なるほど、コレは私も同じように感じるところがある。
寛容が、一方から一方へと押し付けられる窮屈さ。>
【日刊SPA!】なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?―「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ https://t.co/xOwUTfSbFa— タクラミックス (@takuramix) 2016年11月10日
この記事が一番しっくりきた。【日刊SPA!】なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?――「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ https://t.co/vTyNna20aE @weekly_SPA さんから
— sarah(サラ) (@sarahfx1) 2016年11月10日
たしかにこれはそうだな。いつのまにか言えなくなってる。RT【日刊SPA!】なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?――「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ https://t.co/vo8h5QqkDb
— をぢ (@Woggieeee) 2016年11月13日
トランプなんか嫌いですけど、これに関してはそう遠くない未来に日本もそうなりそうで怖い。なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?――「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ | 日刊SPA! https://t.co/ZZ7up5HwPz
— 美人すぎるヘドラchan (@Watercastle1980) 2016年11月12日
なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?―「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ https://t.co/LiTlX6XNCV ←「公正で中立的なバカ」か、なるほど。日本は良いな。神社例大祭、ハロウィン、クリスマス、除夜の鐘、初詣、彼岸だよ。
— P夕顔瀬 (@P_yugaose) 2016年11月11日
アメリカではマジでメリークリスマス禁止ですってよ?(^^;
【日刊SPA!】なぜアメリカ国民は暴言王・トランプに“賭けた”のか?――「メリー・クリスマス!」が言えなくなったアメリカ社会の窮屈さ https://t.co/N7AdU2Ffyn via @weekly_SPA
— suzuki hiroco (@hiroco2003) 2016年11月10日
「自由の国」アメリカのクリスマスがこんな事になっているとは全然知らず、まずそれにショックを受けました。多様な価値観を尊重しようとして、多様性(元々の価値観)を失っていくという非常に危惧すべき事例です。
日本で言えば、万人に受け入れられようとして失敗したテレビ、無難無難を求められ何もできなくなった教師なんかを連想してしまいます。「公正・中立」を求めるあまり世の中がつまらないもので溢れることになるというのは、常に気にかけておかなければならない視点だと感じます(大事なのはバランス)。
しかし、アメリカで「メリー・クリスマス!」が言えないとはねぇ~。とても勉強になる記事でした。