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http://blogos.com/article/136084/
醍醐教授らは実質的な会期末となる25日午後、山崎正昭・参院議長と鴻池祥肇・安保特委員長に申し入れ書と署名を提出した。山崎議長の事務所では秘書が室内に通し、申し入れ書と署名を受け取った。醍醐教授が「17日のは採決と言えるものではない。3万を超える署名の重みを受け止め、申し入れ書を今日中に(議長に)伝えて欲しい」と告げると、秘書は「分かりました」と返答した。アポは前日取っていた。これが普通の対応だ。
ところが鴻池委員長の事務所では、男性秘書がロビーに呼び出して立ったままの対応となった。申し入れ書は受け取るが、署名はお断りするという。
秘書は「重みのある署名であるからこそ、受け取るためには慎重に判断する。答えは来週火曜日までにする」と告げた。慎重なのか小馬鹿にしているのかわからない。もう会期は終わっている。
醍醐教授は「民意を聞く耳を持っていない。おおいに問題視していきたい」と怒りをあらわにした。
弁護士の澤藤統一郎氏が思わず「鴻池委員長の人柄には一種の親近感を持っていたが、こういうやり方では到底(親近感など)持てない。落選運動をやっていく」と言い返すと、秘書は「どうぞご自由に」と受け流したそうだ。
澤藤弁護士は「(署名の提出は)憲法第16条の請願権の行使。自分の秘書に国民からの声をブロックさせているのか?」と憤懣やるかたない面持ちだ。
http://article9.jp/wordpress/?p=5684
28日月曜日、何の音沙汰もなかった。本日29日午後4時になっても何の連絡もない。やむなく、こちらから電話をしてみた。女性職員が電話に出た。
「弁護士の澤藤と申します。秘書の鎌田さんをお願いします。」
『鎌田は本日は地元におりまして、事務所にはおりません。』(えっ? いったいなんだ、それは。)
「25日にそちらに伺った者で、そのとき持参した署名簿を受領するか否かのお返事を29日までにいただけるということで、電話をお待ちしていたのです。連絡が取れませんか」
『折り返し電話をさせるよう伝えます』
私の電話番号を伝えて、
「4時半まで待ちますので、よろしくお願いします。」
といったん電話を切った。4時18分に、鴻池事務所から電話がかかって来た。鎌田秘書からではなく、女性職員が次のように述べた。
『直接に鎌田とは連絡が取れませんでしたので、事務所としてお返事いたします。
申入書は受領いたしました。
しかし、署名簿は受領しません。
既に本会議も終わっている現在、この署名は鴻池が受領すべき内容ではないと思われます。鴻池ではなく、参議院なり、別のふさわしい機関に提出をしていただくようおねがいします。署名簿と言えば、大事なものですから、そのようにお願いいたします。』「それは、鴻池さんから直接のご指示ですか。」
『そうです。議員から下りてきたものです。』「鴻池さん、申入書には目を通されたのですか。」
『見ています。』「いつご覧になったのですか。」
『25日から、今日までの間のいつかだと思います。』「ちょうど『金帰火来』の期間にあたりますが、地元にいらっしゃっていたのではありませんか。」
『いえ、ずっと東京におりました」「そちらからお電話いただけるということでお待ちしていたのですが、私が電話をしなければすっぽかされるところだったのでしょうか」
『内部の連絡態勢が悪くて申し訳ありません』
【5日で32000人が署名】与党の暴力採決は認められない!東大名誉教授らが山崎参院議長と鴻池特別委員長に申し入れ
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以下ネットの反応。
署名の受け取りすら拒否するなんて、どれだけ狭量なんだ。請願権の否定じゃないの? また憲法違反?>
「採決不存在」署名に5日で3万人 鴻池委員長は受け取り拒否http://t.co/Ir1byTSsIi
— 川流桃桜@お前等良い加減にしろ! (@kawamomotwitt) 2015, 9月 27
「採決不存在」の署名を頑なに受け取ろうとしない安保特別委の鴻池祥肇。民意無視も甚だしい。
澤藤統一郎の憲法日記 http://t.co/h26bOxBzeV
— ボーンズ88 (@wildbones88) 2015, 9月 29
鴻池は委員会終わったから自分の役は終わり受け取らないってよ署名。忘れねえよ鴻池 read it: 澤藤統一郎の憲法日記 » 「民主主義が死に瀕した9月17日」この日の怒りを忘れてはならない。特別委員会「採決不存在」にこだわり続けよう。 http://t.co/5XMrGXEBag
— sumi no toutan (@suminotoutan) 2015, 9月 29
「テレビでは国民の声を聞く」といい、「実際は完全に国民を無視する」というスタンスは安倍政権においては上から下まで徹底されてますね。秘書の「落選運動?どうぞ、ご自由に」発言の裏には「どうせ国民はすぐに忘れる」という思いがあるのでしょうね。